医学生・研修医の方へ

留学体験記

ハーバード留学体験

上田 高志

(2006年入局)

2015年9月から2年4ヶ月間、ボストンへ研究留学させていただきました。目的は加齢黄斑変性に関する基礎研究でしたが、ボストンという医療イノベーションの最先端都市で、多国籍な環境に身を置くことで、自分自身の考え方も根本的な影響を受けたと思います。

研究生活

留学先の研究室の決め方については、私の場合は履歴書を添付したメールで応募しました。留学先として、臨床を本職としながら基礎研究の分野でも活躍されている先生を軸に探し、ハーバード大学附属のマサチューセッツ眼科耳鼻科病院(Massachusetts Eye and Ear Infirmary: MEEI)の研究室に留学させていただくことになりました。PIはギリシャ出身のVavvas先生で、硝子体手術を含む網膜診療を行いながら基礎研究においても輝かしい業績のある先生でした。Vavvas先生のラボには世界中からやってきた研究員が在籍していて、出身地は、日本以外に、ギリシャ、中国、アルゼンチン、スペイン、台湾、シリア等、まさに人種のサラダボウルという言葉がぴったりな環境でした。ほとんどの研究員は私より若く、アメリカの眼科レジデンシーを目指している人も多くいて、皆熱心に研究をしていました。

基本的にラボで研究をして過ごしましたが、時にはMEEIで行われる眼科レジデントやフェロー向けのクルズスやMEEIの学術イベントに参加し、手術室も見学させていただきました。ハーバードのフェローの優秀さもさることながら、教育体制の効率性や質の高さにも感銘を受けました。

チャールズ川沿いに佇むMEEI(矢印)
チャールズ川沿いに佇むMEEI(矢印)
指導していただいたPIのVavvas先生と
指導していただいたPIのVavvas先生と

日常生活

アーリントンという郊外の町でアパートを借りました。留学生活のセットアップ、滞在中のトラブル、帰国前の準備等、不慣れな土地柄で大変なことも多いですが、今となってはそういった経験も良い思い出です。冬の寒さは厳しいですが、自然が豊かで、家族ものびのびと生活でき、私よりも家族の方が日本への帰国を残念がっていました。娘の目標は大学生としてまたボストンに戻ることのようです。

ボストンには日本人が比較的多く、日本人コミュニティーが自然と形成されており、助け合って生活しています。週末にはボストン日本語学校という、子供たちが日本語を学んだり維持するための補習校があります。日本食材を扱うスーパーもいくつかあり、日本料理のみならず様々な国の料理が楽しめます。海外生活に不慣れでも暮らしやすい環境だと思います。

休日にはボストン観光の他、ニューヨーク、ワシントンDC、カナダも近いので、旅行を楽しむのもいいと思います。

留学に興味のある先生方へ

留学の目的も帰国後のキャリアも様々だと思いますが、いずれにせよ、人生の貴重な体験となるのは間違いないことです。英語でのコミュニケーションに慣れていなくても何とかなります。数年間の臨床のブランクも心配ないことは、留学経験者の先生方が臨床面でも活躍されているのを見てもお分かり頂けるかと思います。機会があれば是非飛び込んでみて、日本と異なる視点で医学研究や臨床について見聞を広めてみることをお勧めします。

留学体験記

The Wilmer Eye Institute at Johns Hopkins University

豊野 哲也

(2006年入局)

2014年4月から2年半の間、アメリカ東海岸メリーランド州ボルチモアにあるJohns Hopkins Universityの眼科部門The Wilmer Eye Instituteに研究留学しました。メリーランド州はワシントンD.C.の北側に隣接する州で、州都はアナポリス、最大都市がボルチモアです。世帯当たり収入の中央値では50州の中で最も高い州であるとの統計がありますが、ボルチモアの中心部にはかなり治安の悪い低賃金世帯の居住地域もあり、貧富の差が激しい州であるとも言えます。

夏は最も暑い7月で最高気温32度、最低気温22度とほぼ東京の8月の気温と同じですが、湿度が高くないので東京の夏より大分過ごし易い印象です。一方、冬は1月の最高気温6度、最低気温-2度ですので、平均的には仙台と同程度と考えられますが、寒波に襲われた時は-20度以下まで気温が下がり、大雪で1週間ほど社会機能が麻痺したこともありました。

ボルチモアは日本人にはそれ程知られていない都市ではないかと思いますが、愛国心の強いアメリカ人にとっては馴染み深い都市のようです。それは、ボルチモアがアメリカの独立の歴史との関連が深く、アメリカ国歌生誕の地でもあるからです。1812年からの米英戦争の象徴とも言えるボルチモアの戦いで、イギリス海軍の夜通しの砲撃に耐え、マクヘンリー要塞になお無傷でたなびいていた15星の星条旗の情景を詠んだ詩が、現在のアメリカ国歌The Star-Spangled Banner(星条旗)の歌詞です。また、この情景は留学当時のメリーランド州のナンバープレートにもなっていました。

メリーランド州のナンバープレート 現在のマクヘンリー要塞
現在のマクヘンリー要塞。観光名所になっています。

全米屈指の治安の悪さで有名なボルチモアですが、通りを挟んで治安の悪い地域と良い地域がはっきり分かれているのがアメリカの面白いところで、治安が悪いとされる地域に夜間に近づかなければ身の危険を感じることはほぼありません。とはいえ油断は禁物なので、日々気を引き締めて通勤していました。

休日は車で出かけることが多く、ワシントンD.C.まで1時間、ニューヨークのマンハッタンまで3時間程度で行くことが可能でした。高速道路網が発達したアメリカでは長距離のドライブも快適でした。

ボルチモアを本拠地とするプロスポーツチームはアメフトのレイブンスとメジャーリーグのオリオールズがあります。古き良きアメリカの野球場を残すことを意識して近年改装されたカムデンヤードと呼ばれる全米屈指の人気を誇るボールパークがあります。日本人選手も多く活躍する人気チームニューヨークヤンキースやボストンレッドソックスと同じリーグに所属し、また、伝説的な名選手ベーブルースの生まれ故郷であることからも野球熱の非常に高い土地柄です。しかし、やはりアメフトの人気には遠くおよびません。特に9月のシーズン開幕以降は毎週金曜日が非公式にPurple Dayとされており、職場にも学校にもレイブンスのチームカラーである紫の洋服を着ていくことが市民の慣習になっており、ラボのメンバーも金曜日は紫に染まっていました。

大学、研究室、病院の情報

Wilmer Eye InstituteはJohns Hopkins Hospital開院当初からある全米最古の眼科専門施設です。開院以来の歴史的建物が今なお外来棟として使用されております。眼科部門のラボは5つのビルに分散しておりますが、私の所属するラボはメインの研究棟であるSmith Building(2009年築)に入っており、角膜移植術の最大の原因である角膜内皮機能不全の予防および治療法に関する研究をしました。Hopkins病院は、U.S.News誌のBest Hospital rankingにおいて、2012年までの21年間連続でNo.1に選ばれた病院です。分院も多くメリーランド州内に眼科部門を含むクリニックは10施設存在します。ホプキンスグループはメリーランド州の企業で最多の従業員数を誇る大企業でした。

新しいWilmerの顔であるSmith Building
正面のミラーガラスには歴史あるWilmerの建物が映るよう設計されています

大学院1年目の頃から大学院修了のタイミングで留学を希望したい旨を教授に伝え、研究留学すること自体の了解は得ていました。しかし、特にどこのラボを勧められる訳でもなかったため、具体的な留学希望先は自分自身で自由に選定することが出来ました。最終的に大学院4年目の8月に受け入れ留学先が決定し、次年度の各種助成金の申請期限は過ぎてしまっていたため、翌年度渡米後に申請行いました。日本アイバンク協会海外研究助成と、アメリカアイバンク協会のRichard Lindstrom / EBAA Research Grantsをいただき研究することができました。

ラボでのポジションはポスドクリサーチフェローでした。留学前はPhDを持っていないとポスドクになれないと勝手に思っていたのですが、アメリカではメディカルスクールを卒業してMDをとればポスドクということで、PhDを持っていないMDのポスドクも沢山いました。

研究について

角膜内皮研究の第一人者であるDr. Albert Junの下、Fuchs角膜内皮ジストロフィーを中心とした角膜内皮障害の病態解明および薬物治療に関する研究を行いました。MD、PhDであるボスは、2015年10月にWilmerの前眼部治療部門のチーフに就任するなど臨床でも非常に忙しい先生でしたが、週に一度は個別にミーティングをして頂き、細かく研究の方向性をご指導いただきました。おかげで運良く論文を執筆できる成果を上げることができました。

アメリカ東海岸に2年間住み、異文化の中で生活すると、むしろ日本の素晴らしい点を再認識することができ素晴らしい経験になりました。東大眼科の先輩方は留学経験者も多いので、興味のある方は体験談を聞いてみるのも良いと思います。

天窓からの明るい日差しが差し込む研究室